「DNAがそうさせる」というような言葉があります。「血がそうさせる」とか「遺伝した」とか「蛙の子は蛙」のような意味ですが、私は「出生地がそうさせる」こともあるのではないかと思っています。
娘のことです。娘が大学でスペイン語を学び、メキシコに留学し、卒業後もメキシコで就職したのは、彼女が台湾で生まれたことと、深く関係しているのではないかと考えるのです。
30年たった今だからこんなことを言えますが、その当時はそんなことは考えてもみませんでした。
台湾で出産すべきか、日本で出産すべきか
3番目の子を台湾で出産すべきか、私も妻も一瞬だけ考えました。
それは知合いのご長女が、台湾で生まれた直後に股関節脱臼であることが判明。奥さんは、股関節脱臼は台湾の病院に責任はないことは理解するものの、点滴を頭に刺している姿を見て、「日本では考えられない」と少しパニックぎみになっていたからです。
私は「天厨」という北京料理店のやきそばとチャーハンを運んであげましたが、30年以上たった今でも会うたびに「あれは本当においしかった」というのですから、当時の緊張ぶりが知れるというものです。
台湾での出産を決断
しかし妻はこの情報には全く左右されず、台湾で出産することを一瞬で決断します。その理由は、上の2人の子どもの養育の問題です。
3回目の出産なので、多少自信があったのかもしれませんが、日本に帰って出産するとすれば、日本での滞在は半年くらいになるし、その間上の子を学校へ半年だけ転入させる必要があるし、下の子も幼稚園へ預けたいし、2か所を探し、訪問し、手続きをして、出産したら、また台湾に戻ってくる。
これは妊婦にとって大変な重荷です。実家の両親が健在で助けてくれるにしても。
やはり苦労した台湾での出産
台湾で出産する決断は一瞬でしたが、妊娠期間中はそれほど順調ではありませんでした。この子が逆子だったからです。
産婦人科の先生は日本語を話せる先生を選びました。当時は戦後40年くらいですから、50歳以上の台湾の方は、ほとんど日本語教育を受けて日本語が話せました。
ところが、予定日が近づいても逆子が治らず、いよいよ帝王切開を覚悟し始めたころ、ご高齢のかかりつけの先生が、何かの拍子で、手が震えていることを妻が発見したのです。
この手で手術はできないと考えた妻は、大病院への転院を決意します。
いよいよ当日。帝王切開は無事成功しますが、私は術後の妻の血の気のない土色をした顔を見たとき、出産ということがいかに大変な事業であったかを理解しました。まして海外での出産が。
娘の留学と就職はメキシコ
娘はその後大学でスペイン語を学び、メキシコに留学し、メキシコで就職します。
ある日私は地球儀を眺めていて、少し驚きました。台湾の位置から右横にずっと見てゆくと、メキシコがあるのです。私は「あっ」と小さな声をだしたかもしれません。台湾からメキシコまで辿った線は、北回帰線だったからです。
娘のメキシコ行きの決断は、ずっと縦方向のDNAが影響していると考えていました。しかし、北回帰線を見たとき、それだけではなくて出生地という横方向の影響が大きいと考えるようになりました。もしかすると、地球がそうさせたのかもしれないと。
そうそう、知合いの娘さんはその後立派に成長し、ロンドンに留学、MBAを取得、就職もし、結婚もしてご両親を安心させています。その子の場合は台湾から北上して行ったわけですが。
執筆者:姉崎慶三郎