私が暮らしたことのある海外の国、それは今もミステリアスな雰囲気に包まれる「ロシア」です。今日はそのロシアで暮らすことになったきっかけについてお話ししたいと思います。
ロシア語との運命的な出会い
私は幼い頃から海外や外国語に興味があり、高校の頃から英語以外の言語を学んでみたいと考えていました。英語だけでは、「就職面で帰国子女や英語の得意な方々に絶対勝てない」というコンプレックスも、他の言語を学びたいと思った理由の一つです。
大学進学のために東京の有名な外国語大学を受験するも、見事不合格。たまたま進路相談の先生が滑り止め対策としてお勧めしてくれていた大学を受け合格。その大学の科目が、今は私の人生を左右したといっても過言ではない「ロシア語」だったのです。
ちなみに、無事東京の大学に合格していた場合、私は今頃フィリピンの現地語であるタガログ語スピーカーになっていたことでしょう(笑)。それくらい、ロシア語に関しては何の知識もなく、むしろまったく興味を持っていない状態だったのです。
大学に入ったらぜったいやると決めていたこと
そんな私が入学した際、一つだけ決めていたことがありました。それは、「絶対にロシアに留学する」ということです。せっかく言語を学ぶなら、日本で中途半端に勉強するよりも、現地でサバイバルしながら学ぶべきだと私は考えていました。しかも、お金はなくても時間ならたっぷりある大学生ですので、ぜひその時間を活用すべきだと思ったのです。
私が入学した大学は外国語大学だったこともあり、留学制度が整っていました。ただ、そう簡単には留学させてもらえなくて、2年間しっかり授業に出て、留学テストに合格した場合にのみ留学の権利が与えられるという内容のものでした。
ですので、本当は大好きなダンスのサークルや体育会系の部活にも入りたかったのですが、「遊んでいたら留学出来ない」という先生の厳しいアドバイスのもと、ほぼロシア語学習のみの大学生活がスタートしました。
ついに決まった留学
ロシア語は世界の言語の中でもトップを争うほど習得が難しい言語であるということを、入学した後に知った私ですが、やはりロシア語学習には大変苦労しました。その苦労についてはまた別の機会にお話しするとして、すでに1年目でドロップアウトする友人や留年組が増えていく中、なんとかロシア語の基本を身につけることが出来、留学テストにも合格して無事ロシアへ留学できることになりました。
でも、特に学校側がコーディネートしてくれるわけでもなく、チケットの手配から留学先大学への連絡事項はすべて自分で行いました。その当時はまだ基本的なロシア語しか習得できていなかったため、現地のコーディネーターとは英語のメールでやりとりしていたのを覚えています。飛行機の手配を自分でするのも初めてで、「なんで片道10万もかかるの〜?!」と、必死で稼いだバイト代があっと言う間に消えていくのが切なかったです。
ヘンテコなだけどクセになる
私がロシアに到着したのは11月で、サンクトペテルブルグという西側の都市でした。フィンランド湾に面した学生寮にまず泊まることになっていたのですが、海風が凍りつくように冷たかったのを覚えています。
また、空港の職員もスーパーの店員も、誰一人として愛想の良い人はいなく、「お客様は神様」の日本とのギャップを大いに感じました。でもそれが逆に私にとっては新鮮で、「どうして日本はあんなに愛想が良すぎるのだろう?」と、今まで常識として考えてきたことが常識ではないことについて考えるきっかけになりました。
異文化の国で暮らす覚悟
現地で暮らしてみて気づいたのですが、ロシアに来た人のうち半数がロシアを嫌いになって帰り、半数が好きになって帰るようです。私はその後者の方でした。現地で知り合った日本人の何人かは、「ロシアなんかもう絶対来ない」「仕事じゃなかったらもう帰国してる」という風に言う人がいる一方で、ロシアの芸術が大好きで、現地の劇団のおっかけをしているような子もいました。
私の場合は特にロシアの文化が大好きだったり、ロシアにこれといった執着があったわけではなかったのですが、日本とは明らかに違うその雰囲気や習慣、生活が気に入りました。道はデコボコだし、渋滞だらけでバスは時間通りに来ないし、道を歩く人々はなんだか怖そうだし、料理の味付けも、素材の味を生かす料理というよりは素材そのものを食べているような料理もあるし、ケーキは甘すぎるし、売っている服はちょっとダサいし・・・
日本の便利で洗練されたきめ細やかな生活に慣れてしまった人々には確かに暮らしにくい国だと思います。
でも、それが”異なる文化を尊重して受け入れること”だと私は思います。日本の生活だけが正解ではないのです。ロシアで暮らす現地の人々ももちろんその生活を受け入れていて、何があっても、「なんとかなるよ」とどっしりと構えている様子で、そこがまた良いな〜と思っていました。
ロシアの魅力をぜひ体験してほしい!
そんなことを感じながら、予定していた半年の留学期間が終わってしまいました。しかし私は今度は休学届けを出してロシアに戻ることに決めたのです。
卒業を遅らせてでも、もっとロシアで暮らしてみたい、そう思えました。そんなかんだで計1年間をロシアで過ごしました。短い夏、長くて暗い秋、雪で真っ白の冬、そして雪解けが汚い春・・笑。そんなロシアの四季を過ごすことが出来ました。
そこで訪れた素晴らしい観光地や現地の生活については、また今後詳しくお伝えしたいと思います。もしこの記事を読んでくださっているあなたにロシアを訪れる機会が出来たとしたら、それはどんなきっかけなのでしょう・・?なかなか行く機会のないロシア、ぜひ楽しんでいただきたいものです!
執筆者:Marikochkaペンネーム
自己紹介 :子供の頃から外国に興味があり、海外への短期・長期の留学を経て、今では英語とロシア語を使ってお仕事をしています。今も”海外”というワードには過剰反応してしまいます(笑)